四宮町(読み)しのみやちよう

日本歴史地名大系 「四宮町」の解説

四宮町
しのみやちよう

[現在地名]大津市京町きようまち三丁目

下百石しもひやつこく町の東にあり、寛保二年町絵図では通りの北に町名の由来となった四宮社(現天孫神社)、南に芝居小屋が記される。享徳二年(一四五三)成立という大津町古絵図(新修大津市史)には葭原よしはら沼の東手の湖辺に四宮社がみえる。弘長二年(一二六二)奈良西大寺の叡尊逢坂おうさか山を越え、志賀しが四宮馬場しのみやばんばで宿泊し、翌日山田やまだ(現草津市)へ船で渡っているが(関東往還記)、この四宮は当地から東の馬場にかけての一帯と考えられる。宝暦一〇年(一七六〇)の「大津珍重記」によれば、当町に料理茶屋街がある。天保一四年(一八四三)の茶屋数は一一軒(大津市志)。また幕府公許の芝居小屋があり、芝居名代(興行権)は四宮社の神主持ちとも(大津町覚)、安房屋なる者が有したともいう(輿地志略)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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